企業によってどちらが正論かはなんとも言えないところだが、業務に強制力を伴うことは労働組合の反発やストライキの可能性も加味したうえで結果的には「発展の限度が見えてしまう企業」になりさがるのに対し、規律を設けたうえで自由も与える企業には、その発展の可能性が限りなく広がっていると判断できる。
このような見解から、経営での話であれば自由を与えるというのは結果、生産性の向上が考えられるのだが、話を教育現場に戻してみたい。企業の場合、その主体は大人であったのに対し、教育現場の主体は子供である。社会人ともなれば何を強制されなくても自ら主体的に効率の良い策を常時考えられるのはもはや基本であるが、まだ子供のうちに「確かな学力」「生きる力」などを意識させ行動させるのは実質不可能に近い。理由はいたってシンプルである、大多数の子供たちは勉強が嫌いだからだ。小、中学生の頃はとにかく勉強をしないように、毎日何をして遊ぼうかを考えながら行動したものである。これは筆者だけでなくあらゆる人にも当てはまるはずであり、もちろん現代の子供たちにも当てはまる。それなのにあえて強制力をなくす方法論が取り入れられている、これは明らかにおかしい点であるのだ。